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地球は許さない

アースデイ50周年

4月22日は、地球環境に考える日として提案された、アースデイ(地球の日)だった。

英語ではEarth Dayとして、イタリア語ではGiornata della Terra(ジョルナータ・デッラ・テッラ)として知られる。

きっかけは、1970年にカリフォルニアで大規模な原油流出事故が起きたとき、多くの鳥や海洋生物が死んでしまったことを受け、大気汚染なども含む環境の悪化の改善を訴えて、市民が政府に抗議したことだった。

今年はそれから50年目だが、地球環境は悪化の一途を辿っている。

その結果が、このコロナウイルスの流行であり、世界的な山火事や集中豪雨、ハリケーンである。

今年のアースデイには、ローマ教皇フランシスコも、教会の教えの解説(カテケージス)の一環として、スピーチを行った。

キリスト教は、環境問題をどう考え、どう向き合っていくのか。

ヨーロッパの精神的リーダーであるフランシスコ教皇は、社会に何を願うのか。

スピーチの内容を読んでみよう。

教皇フランシスコのスピーチ

今日、我々はアースデイ50周年を迎えました。

これを機に、私たちの「ともに暮らす家」である地球を愛し、そして、そこに住む私たちの一番か弱い家族を大切にすることを、改めて心がけましょう。

コロナウイルスが私たちに示してきたように、世界が一丸になって、弱い者を支えることによってしか、私たちはこの世界的な戦いに勝利することはできません。

私が出版した「Laudato sì」という本には、このようなサブタイトルがあります。

「共に暮らす家を大切に」

今日は、この地球に対して、私たちのしてきたことへの責任について、一緒に振り返ってみましょう。

私たちは、「ともに暮らす家」である地球を大切に扱うことを、学んでいかなければなりません。


私たちは、地上の物質から成っており、大地の実りが、私たちの命を支えています。

しかし、創世記に書かれているように、私たちはただの「土人形」ではありません。

私たちは、私たちの中に、神から吹き込まれた、いのちの息を持っています。

私たちは、「ともに暮らす家」に、人類という一家族として暮らし、神が作ったその他の創造物とともに、多様な生態系の中に生きています。

神がイメージした通り、私たちは、全ての生き物を尊重し、愛を与え、特に弱い私たちの兄弟や姉妹に、慈愛の心を持つことが大切です。

神が私たちを愛するのと同じように。

また、神の子イエスは、人の形をして私たちの前に現れ、私たちを救おうとしましたが、彼が私たちに見せてくれたように、慈愛の心を持つのです。


自己中心主義のせいで、私たちは、地上の守り主、また地球の管理人としての責任を怠ってきました。

すなおに現実を見れば、私たちの「ともに暮らす家」が、深刻な被害を受けているのは、一目瞭然です。

私たちは地球を汚し、地球からうばいとり、自分たちの命まで危険にさらしています。

私たちの良心を目覚めさせるために、色々な国際的または地域のムーブメントが広がりました。

このような活動の広がりは、本当に素晴らしいことです。

まだまだこれから、次世代の子供が私たちに、人間が、人間を支えてくれる環境を破壊し続けるなら、私たちに未来はないという、明白な事実を教えてくれるでしょう。


私たちは、私たちの「家」であり「庭」である地上を守ることを怠り、私たちの兄弟を守ることを怠りました。

私たちは地球に対する罪があります。

私たちの将来に対しても罪があります。

そして、結果的に、私たちの創造主であり、父なる神に対しても、罪があります。

神は、私たち一人一人を気にかけ、私たちが仲間とともに、豊かに暮らしていくことを願っているというのに。

そして、地球は一体、私たちにどのような反応をするのでしょうか?

スペイン語のことわざに、このようなものがあります。

「神は私たちをいつも許してくれる。

私たち人間は、許すこともあれば、許さないこともなる。

地球は、絶対に許さない。」

地球は、絶対に許さないのです。

もし私たちが地球を傷つけたなら、地球の答えは、とても悪いものでしょう。

私たちは、どのようにすれば、地球や、他の人類との調和を取り戻せるのでしょうか?

調和ある関係。。。

私たちはよく、調和というものを見失ってしまいます。

調和とは、聖霊が作ったものです。

私たちの「ともに暮らす家」である地球で、私たちの人との関係の中で、次世代と、貧しい人と、私たちはどのようにすれば、調和を取り戻せるのでしょうか?

私たちは、私たちの「ともに暮らす家」を、別の見方で見る必要があります。

地球は、私たちが消費するための資源を貯めておく倉庫ではないのです。

私たち信者にとって、自然な世界とは、「創造の福音」です、

これは、神の創造の力を表すもので、人々の生命を形づくり、人々の住む世界を一緒に作り上げました。

創造について、聖書ではこう述べられています。

「神は自分の作り上げたものを見た。そして、それは素晴らしいものであった。」

最近の自然災害は、私たちのひどい扱いに対する地球の返答であり、災害を見るたびにこのように思います。

「もしわたしが今、神にこのことをどう思うか聞いたならば、神は私にいい答えは返さないだろう」と。

神の創造物を壊したのは、私たちなのです!


今日、世界アースデイを迎えるにあたって、私たちは地球に対する、「聖なる」敬意をもう一度、持ちなおさなければなりません。

なぜなら、地球はただ単に私たちの「ともに暮らす家」だというだけでなく、「神の家」でもあるからです。

そのことが、私たちに、「私たちは聖なる地球に住んでいる」という自覚を芽生えさせるのです。


親愛なる兄弟よ、姉妹よ。

神が私たちの中に植え付けた、倫理的で静観的な感覚を呼び起こしましょう。

瞑想の中で呼び覚まされる予言は、よく先住民の文化に見られます。

このような民族は、地球を愛し尊重しなければ、地球を大切にはできないということを教えてくれます。

彼らは、「良く生きる」という知恵を持っています。

「うまく人生を過ごす」ということとは違います。

地球と調和を保って、生きていく、という意味です

この調和のことを、彼らは「良く生きること」と呼ぶのです。


それと同時に、私たちは、具体的な行動を伴う、環境との対話を必要としています。

同じ一つの家族として、互いに依存し合う家族として、私たちの「ともに暮らす家」に対する敵をやっつける計画をシェアする必要があります。

私たちがお互いを必要としているということは、「一つの世界」、そして世界共通の計画を立てることが必要だ、ということを思い起こさせます。

私たちは、私たちの「ともに暮らす家」を守るため、国際的な集団として協力することが必要だということを知っています。

「COP 15」と「COP 26」という、環境に関する重要な国際会議を進める責任者たちを、激励します。

この二つの話し合いは、とても重要です。


また、この二つの話し合いに共鳴した、国内や地域での活動を奨励したいと思います。

様々な社会的背景を持つ人々が一緒になり、「下から」の国民の活動にも息を吹き込んでいくのは、良いことです。

この世界アースデイは、そもそもそのようにして生まれたのです。

私たち一人一人が、小さな力を持っています。

小さな努力が世界を変えることは出来ない、などと思う必要はありません。

このような行動は、社会の中に、良い種をまきます。

目に見えなくても、それは実を結ぶでしょう。

なぜなら、その種は社会の土の中で、根を広げ続けるからです。

出典© Copyright - Libreria Editrice Vaticana

http://www.vatican.va/content/francesco/it/audiences/2020/documents/papa-francesco_20200422_udienza-generale.html

環境破壊を宗教の観点からも避難したスピーチ

私がフランシスコ教皇の言っていることをちゃんと理解しようとし始めたのは、ごく最近のことだ。

しかし、以前から、ヒロシマやナガサキの原発に対する思い、フランスのシャルリー・エブド襲撃事件の際のコメントなどを読み、宗教にとらわれない、深い人間性に基づいた感覚を持つ人だなと思っていた。

今回、このスピーチの原文を読み、「回勅 ラウダート・シ〜ともに暮らす家を大切に〜」という、環境問題に対する考察を述べた本を出版していることも知った。

今回のスピーチの中でも、先住民の文化に学ぶ姿勢など、私の中の「キリスト教の教皇」のイメージからは程遠いものだった。

フランシスコ教皇はアルゼンチン出身で、スペイン語が母国語だが、時にスペイン語も用いて発言もしている。

今回のスピーチで印象に残ったのは、地球を「神の家」と定義し、それを傷つけることは「罪」であると、環境破壊を宗教の観点からも非難したことだ。

これにより、各国のキリスト教国の首脳は、短期的な経済政策よりも、「神の家」を守ることを優先するようになるのだろうか。

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